**神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇として知られる伝説的な人物です。天照大神の子孫であり、九州の日向から東の大和(奈良)を目指して進軍した「神武東征」の物語は、日本建国の神話として語り継がれています。弓先に金色の鵄(とび)が止まり、敵の目を眩ませたという伝承や、三本足の烏「八咫烏(やたがらす)」**の導きなど、その生涯は神がかり的なエピソードに彩られています。
カムヤマトイワレビコの野望
天孫降臨のその後
神武天皇の諱(本名)はカムヤマトイワレビコ。彼の曽祖父は、天孫降臨で地上に降り立ったニニギノミコトです。日向(宮崎県)の地で平和に暮らしていた一族でしたが、イワレビコは「東の方に、国を治めるのにふさわしい美しい土地がある」と考え、兄弟たちと共に東征の旅に出ることを決意しました。
苦難の航海と兄弟の死
旅は決して順調ではありませんでした。瀬戸内海を経て大阪へ上陸しようとした一行は、地元の豪族・**長髄彦(ナガスネヒコ)**の激しい抵抗に遭います。この戦いでイワレビコの兄である五瀬命(イツセノミコト)は矢傷を負い、その傷が元で命を落としてしまいます。「日の神の子孫である我々が、日に向かって(東へ)戦ったのが良くなかった」と悟ったイワレビコは、太陽を背にして戦うため、紀伊半島を大きく迂回する作戦に出ます。
八咫烏と金色の鵄
熊野の山越えと神の使い
紀伊半島(熊野)に上陸した一行は、険しい山道と毒気に阻まれ、一時意識を失うほどの危機に陥ります。しかし、天照大神と高木神の助けにより、霊剣「布都御魂(ふつのみたま)」が授けられ、一行は復活します。さらに、道案内のために遣わされたのが、三本足の**八咫烏(やたがらす)**です。この神聖な烏の導きにより、イワレビコ軍は迷うことなく大和への道を進みました。
長髄彦との決着
再び長髄彦と対峙したイワレビコ。その時、空から**金色の鵄(とび)**が飛来し、イワレビコの持っていた弓の先に止まりました。鵄は雷のように光り輝き、長髄彦の軍勢は目がくらんで戦意を喪失しました。こうして強敵を打ち破ったイワレビコは、ついに大和を平定します。
建国の宣言とその後
橿原宮での即位
大和を平定した後、イワレビコは畝傍山の東南、橿原(かしはら)の地に宮殿を築き、第一代天皇として即位しました。これが神武天皇です。「八紘一宇(はっこういちう)」の精神、すなわち「世界を一つの家のように平和にする」という理想を掲げたとされています。
現代への影響
神武天皇即位の日とされる紀元前660年2月11日は、現在の**「建国記念の日」**の由来となっています。奈良県の橿原神宮には神武天皇が祀られており、国家安泰や開運延寿の神として、今も多くの人々の信仰を集めています。
【考察】史実か神話か?
考古学的な視点
神武天皇の実在性については議論があります。紀元前660年という年代は、考古学的な弥生時代の開始時期とはズレがありますが、**「九州から近畿への勢力移動」**という史実が神話化されたものとする説が有力です。東征ルート上の神社や遺跡は、古代日本の権力推移を考える上で極めて重要な意味を持っています。
まとめ
数多の苦難を乗り越え、神々の助けを借りて日本を建国した神武天皇。その物語は、単なる征服の歴史ではなく、統治の正当性と理想を示す壮大な叙事詩です。