父ラグナル・ロズブロークを超える武名を轟かせた伝説のヴァイキング王。「剛勇」あるいは「鉄の脇腹」という異名は、彼が戦場で決して傷を負わなかったという伝説に由来します。彼の船団は北海を越え、遠く地中海までその略奪の足跡を残しました。
鉄の脇腹(Ironside)の由来
不死身の伝説
ビョルンが「Ironside(鉄の脇腹)」と呼ばれた理由は、彼が戦闘中に決して流血しなかったからだと言われています。一説には、母(伝承によってはアスラウグ、あるいはラゲルサ)による魔法の加護があったとも、あるいは彼自身の皮膚が鉄のように硬かったとも、そして単に卓越した防御技術を持っていたからだとも言われています。
ラグナルの息子たち
彼は骨なしアイヴァルや蛇の目のシグルドら「ラグナルの息子たち」の長兄格として、父の死後、イングランドへの復讐戦「大異教徒軍」を指揮しました。彼のリーダーシップは兄弟たちの中でも際立っており、多くのヴァイキングが彼の下に集まりました。
歴史に残る地中海遠征
未知の海へ
859年、ビョルンはハステインと共に大規模な船団を率いて、フランク王国を回り、イベリア半島を経て地中海へ侵入しました。彼らは南フランス、イタリア沿岸を荒らし回り、ピサの街などを略奪しました。
ルナの街の奇策
最も有名なエピソードは、イタリアのルナ(Luni)という街の攻略です。彼らはこの壮麗な街を「ローマ」だと勘違いして攻め込みましたが、城壁は堅牢でした。そこでビョルンは使者を送り、「自分は死に瀕しており、キリスト教徒として埋葬されたい」と嘘をつきました。
街の司教がこれを受け入れ、ビョルンの「遺体」が入った棺が城内に運び込まれました。ミサの最中、突然棺から飛び出した完全武装のビョルンは、司教を斬り殺して城門を開け放ちました。こうして街は陥落しましたが、そこがローマではないと知った彼はひどく落胆したと言われています。
スウェーデン王として
伝説のムンソ家
遠征から戻った彼は、スウェーデンを統治し、ムンソ王朝の祖となったと伝えられています。ウップランド地方にある「ビョルンの丘(Björnshögen)」と呼ばれる古墳は、彼の埋葬地であると信じられており、現在でもその伝説的な存在感を放っています。
まとめ
剛勇のビョルンの生涯は、ヴァイキング時代そのものを体現しています。冒険、略奪、そして機知に富んだ戦術。彼の名は北欧の歴史における最も輝かしい一ページとして刻まれています。