中国では「民族の英雄」、日本では「国性爺(こくせんや)」。二つの国にルーツを持つ鄭成功は、滅びゆく明王朝のために人生を捧げた悲劇のヒーローです。日本の平戸で生まれ、父は海賊王、母は日本人。漫画の主人公のような設定を持つ彼が、巨大な清帝国にどう立ち向かったのかを解説します。
平戸生まれのプリンス
福松と呼ばれた少年
彼は7歳まで長崎の平戸で母・田川マツと暮らしていました。幼名は福松。その後、中国に渡り、明の皇帝から皇族の姓「朱」を賜り、「国性爺(皇帝の姓を持つ人)」と呼ばれるようになりました。これはとんでもない名誉です。
台湾の解放者
オランダ駆逐
清軍に敗れ、大陸での拠点を失った彼は、再起を図るために台湾へ渡りました。当時台湾を支配していたオランダ東インド会社を攻撃し、要塞ゼーランディア城を陥落させてオランダ人を追放。台湾に漢民族の政権を打ち立てました。これが、彼が現在でも台湾で「建国の父」のように崇められる理由です。
日本での人気
国性爺合戦
彼の活躍は江戸時代の日本でも大ニュースとなり、近松門左衛門によって人形浄瑠璃『国性爺合戦』として劇化されました。虎退治をするシーンなどで脚色されたこの作品は、当時の日本で空前の大ヒットとなりました。
【考察】届かなかった夢
早すぎる死
台湾攻略の翌年、彼は39歳の若さで病死しました。「明朝復興」という悲願は果たせませんでしたが、彼の不屈の精神は、東アジアの海に確かな足跡を残しました。
鄭成功は、明の復興を掲げて清と戦った英雄であり、日本では国姓爺として知られています。母が日本人(田川マツ)であることから、日本でも歌舞伎『国性爺合戦』のモデルとなるなど人気が高い人物です。台湾からオランダ勢力を駆逐し、台湾開発の祖としても尊敬されています。
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まとめ
日本と中国、そして台湾。3つの地を繋いだ鄭成功。彼の物語は、海を隔てても変わらぬ忠義と家族への愛を伝えています。