新選組史上、最も「弁の立つ」男。それが参謀・**伊東甲子太郎(いとうかしたろう)**です。北辰一刀流の道場主でもあった彼は、剣の腕も一流なら、学問と弁舌においては近藤・土方を遥かに凌駕していました。隊士たちからも慕われ、一時は新選組の実質的なNo.2として君臨しましたが、尊皇攘夷という思想の違いから近藤と袂を分かち、御陵衛士(ごりょうえじ)を結成。しかし、その先に待っていたのは悲劇的な結末でした。
近藤勇も惚れ込んだ才能
文武両道の美男子
伊東は背が高く、色白の美男子で、話し上手だったため非常にモテました。近藤勇は彼を熱心にスカウトし、「先生」と呼んで厚遇しました。しかし伊東にとっての新選組は、自分の理想である「尊皇攘夷(天皇を尊び、外国を打ち払う)」を実現するための足がかりに過ぎませんでした。幕府を守ろうとする(佐幕派の)近藤たちとは、最初から目指す場所が違っていたのです。
彼は新選組を内部から改革しようと試みましたが、土方歳三らの警戒にあい、最終的に分離独立する道を選びました。孝明天皇の御陵(お墓)を守るという名目で結成された「御陵衛士」には、藤堂平助や斎藤一(スパイとして潜入)らが参加しました。
油小路の罠
酔わされて、斬られる
慶応3年11月、伊東は近藤に「国事について話し合おう」と妾宅での酒席に招かれました。警戒心の強い彼も、この時ばかりはしこたま飲まされ、酩酊状態だったといいます。その帰り道、油小路(あぶらのこうじ)で待ち伏せしていた新選組隊士・大石鍬次郎らに槍で突き刺され、絶命しました。「奸賊(かんぞく)ー!」と叫んで前のめりに倒れたといいます。
彼の遺体は囮として路上に放置され、引き取りに来た弟分たちをおびき寄せる罠に使われました。この惨劇(油小路の変)により、伊東派は壊滅しました。彼の才能は、その過剰な自信ゆえに、志半ばで摘み取られてしまったのです。
まとめ
もし伊東甲子太郎と土方歳三が手を組んでいれば、新選組はもっと違う、あるいはもっと巨大な組織になっていたかもしれません。才能のぶつかり合いが生んだ、幕末の痛ましい喪失です。