人生は選択の連続だ。「岐路に立つ」という言葉があるが、古代日本において、その物理的な「分かれ道(岐・衢)」には神が宿ると信じられていた。それが「岐の神(チマタノカミ)」である。
禊から生まれた神
穢れを払う力
『古事記』では、伊邪那岐命(イザナギ)が黄泉から戻って禊(みそぎ)をし、ふんどしを投げ捨てた時に生まれたのが「道俣神(チマタノカミ)」であるとされる。 このことから、岐の神には元来、穢れを道端で払い落とす浄化の力があると信じられてきた。
サルタヒコとの関係
道案内の神への集合
岐の神は、しばしば天孫降臨の際に道案内をした**猿田彦神(サルタヒコ)**と同一視される。 これは、「道の分岐点に立つ神」という属性が一致するためであり、現在では多くの神社で混同あるいは習合して祀られている。
辻占いの起源
夕方に辻(交差点)に立ち、通りすがりの人の言葉から吉凶を占う「辻占い」。 この占いは、辻に宿る岐の神の託宣を聞く儀式が起源である。境界である辻は、異界の言葉が漏れ聞こえる場所だったのだ。
【考察】選択を見守る視線
運命の分岐点
岐の神は単に道路を守るだけでなく、人々が人生の重要な決断を下す瞬間(=岐路)を見守る存在でもあった。 進むべき道か、引き返すべき道か。その答えは辻に潜んでいるのかもしれない。
まとめ
岐の神は、私たちが迷った時、そっと背中を押してくれる見えざるガイドなのかもしれない。