古代エジプトにおいて、王(ファラオ)が最も守るべきものとされたのが「マアト」です。彼女は女神であると同時に、「正義・真理・秩序・法」という宇宙の法則そのものを指す概念でもあります。太陽が昇り、ナイル川が氾濫し、季節が巡る、この世界の正しい在り方すべてがマアトなのです。彼女は混沌(イスフェト)と対をなす存在であり、世界が崩壊しないためのアンカー(錨)の役割を果たしています。
頭上のダチョウの羽
真実の象徴
マアトは頭に一枚のダチョウの羽(シュウの羽)をつけた女性の姿で描かれます。太陽神ラーの娘であり、知恵の神トトの妻とも言われます。彼女は太陽の舟に同乗し、混沌の大蛇アペプからラーを守り、世界の秩序を維持する役割を担っています。彼女がいなければ、世界は混沌(イスフェト)へと逆戻りしてしまいます。
死者の審判と天秤
心臓の重さを量る
死後の世界で行われる審判において、マアトは極めて重要な役割を果たします。冥界の王オシリスの前で、死者の心臓が天秤の片方に置かれ、もう片方に「マアトの羽」が置かれます。
42の否定告白
死者は「私は盗みを働いていません」「人を殺していません」といった42項目の「否定告白」を行います。もし死者が生前に悪行を重ねて嘘をついていれば心臓は重くなり、天秤は釣り合いません。その場合、心臓は怪物アミメットに食われ、魂は消滅します。心臓が羽と同じ軽さ(潔白)であれば、死者は楽園アアルへと進むことができるのです。
ファラオの責務
マアトの実践
エジプト人にとって「マアトに従って生きる」こと、つまり正直で公平に振る舞い、他者と調和して生きることは、現世での幸福と来世での永遠の命を保証する唯一の道でした。ファラオは「マアトの主」として、地上に正義を実現する義務を負っていました。神殿の壁画には、王が神々に「マアト(の像)」を捧げる場面が頻繁に描かれています。これは、王が正しく国を統治していることの証明なのです。
まとめ
マアトは神殿の中に座っているだけの神ではありません。人々の心の中にあり、日々の行いを正す良心そのものが彼女なのです。その羽の軽さは、嘘偽りのない魂の軽やかさを象徴しています。