世界にはまだ氷と炎しかなかった原初の時代、神々さえまだ存在しなかった頃、霧氷の中から一頭の巨大な雌牛が生まれました。その名はアウズンブラ。彼女は北欧神話において、すべての巨人、そしてすべての神々の「育ての親」とも言える、偉大なる生命の源です。彼女の乳がなければ、オーディンもトールも、そして世界そのものも存在し得なかったでしょう。
巨人を育んだ乳
豊穣の川
アウズンブラの大きさは計り知れません。彼女の4つの乳房からは、まるで大河のように乳が溢れ出し、4本の川となって流れ出しました。彼女と同じく氷から生まれた原初の巨人ユミルは、この豊富な乳を飲むことで飢えを満たし、生き延びることができたのです。ユミルはこの乳のおかげで強大な力を得て、やがて自らの体から多くの巨人たちを生み出していきました。つまり、彼女がいなければ巨人族は繁栄しませんでした。
神々の誕生
一方、アウズンブラ自身は何を食べていたのでしょうか?彼女は草の代わりに、塩辛い味がする氷の塊(ライム・ストーン)を舐めていました。彼女が温かい舌でザラザラと氷を舐め続けると、不思議なことが起こります。1日目の夕方には氷の中から人間の髪の毛が現れ、2日目には頭が、そして3日目には美しく逞しい完全な男の姿が現れました。これが神々の祖であるブーリであり、後の主神オーディンの祖父にあたります。彼女はただ食事をしていただけで、神という種族を創造してしまったのです。
消えた母牛
その後の行方
残念ながら、天地創造の物語の後、アウズンブラがどうなったのかについては『エッダ』に明確な記述がありません。オーディンたちがユミルを殺してその死体から世界を創った際、溢れ出たユミルの血は洪水を起こし、霜の巨人たちを溺れさせました。アウズンブラもこの洪水に飲み込まれてしまったのでしょうか。それとも、世界のどこか人知れぬ場所で、今も静かに氷を舐め続けているのでしょうか。彼女の最期は永遠の謎に包まれています。
母性の元型
世界中の神話に「牛」を崇拝する文化が見られますが、アウズンブラもまた、大地母神的な豊穣と育成のシンボルとして、過酷な北欧の自然の中で生命を繋ぐ重要性を象徴しています。何もない氷の世界で命を育む彼女の姿は、厳しい冬を生き抜く北欧の人々の生命力そのものです。
まとめ
アウズンブラは、荒涼とした原初の世界において、自らの乳で敵対する二つの種族(巨人と神)の両方を育んだ、分け隔てない慈愛に満ちた存在でした。彼女は物語の表舞台からすぐに姿を消しましたが、その功績は世界そのものとして生き続けています。