「判官贔屓」という言葉を生んだ日本史上最も愛された悲劇の英雄、源義経。その天賦の軍才は、平家を滅ぼすと同時に、彼自身の運命をも狂わせていきました。美しき牛若丸としての伝説、常識を覆す奇襲戦法、そして忠臣・弁慶との逃避行。華々しい勝利と哀しい最期のコントラストは、800年の時を超えて日本人の涙を誘います。
牛若丸の伝説
鞍馬山での修行
源義朝の九男として生まれた彼は、平治の乱で父を殺され、鞍馬寺に預けられました。昼は学問を修め、夜は天狗(鞍馬天狗)から剣術を習ったという伝説があります。この頃から身軽さと剣の才能は群を抜いており、平家の監視をかいくぐって奥州藤原氏のもとへ向かいます。
五条大橋の出会い
京都の五条大橋で、千本の太刀を奪おうとしていた荒法師・武蔵坊弁慶と出会います。怪力無双の弁慶に対し、牛若丸は欄干を飛び交う軽業で翻弄し、見事に勝利します。以来、弁慶は義経の最も忠実な家臣となり、最期の瞬間まで彼を守り続けました。
常識破りの戦術
鵯越の逆落とし
兄・頼朝の挙兵に応じて参戦した義経は、一ノ谷の戦いで伝説的な奇襲を行います。「鹿が通れるなら馬も通れる」と言い放ち、断崖絶壁を騎馬で駆け下りて平家の背後を突いた「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」です。このまさかの攻撃により平家軍は大混乱に陥り、敗走しました。
壇ノ浦の八艘飛び
屋島の戦いでの「弓流し」を経て、最終決戦の壇ノ浦の戦いへ。追い詰められた平家の猛将・平教経が義経を道連れにしようと襲いかかった際、義経は次々と船を飛び移り、八艘彼方へ逃れたといいます(八艘飛び)。この身軽さは、彼の戦い方の象徴として語り継がれています。
英雄の末路
頼朝との確執
平家を滅ぼした最大の功労者でありながら、義経は頼朝から危険視されます。許可なく官位を受けたことや、独断専行な戦い方が、武家社会の秩序を重んじる頼朝には許せなかったのです。追われる身となった義経は、再び奥州へ逃れますが、最後は衣川の館で自害に追い込まれました。
チンギス・ハン説
あまりに悲劇的な最期を惜しんだ人々の中から、「義経は死なずに大陸へ渡り、チンギス・ハンになった」という壮大な伝説(判官生存説)が生まれました。史実である可能性は低いですが、それほどまでに彼は英雄として愛されていた証拠と言えるでしょう。
まとめ
義経の儚くも鮮烈な生涯は、日本人の琴線に触れ続け、数々の物語や歌舞伎の題材(義経千本桜など)となりました。彼は永遠の貴公子として、我々の心の中に生き続けています。