静寂な戦場に突如として現れる、血のように赤い軍団。それを見た敵兵は恐怖に震え上がり、「井伊の赤鬼が来た!」と叫んで逃げ惑いました。徳川四天王の中で最も若く、最も美しく、そして最も恐れられた武将、井伊直政(いいなおまさ)。旧武田軍の最強部隊「赤備え」を継承し、徳川家康の天下取りを最前線で切り開いた、若き猛将の生き様に迫ります。彦根城を築き、現代のゆるキャラブームの先駆けともなった彼の意外な一面とは?
井伊の赤備えと傷だらけの英雄
恐怖の象徴
直政は、兜から鎧、馬具、旗指物に至るまで軍装をすべて朱色(赤)で統一させました。これは戦場で目立つため、敵の標的になりやすい危険な色ですが、同時に「絶対に逃げない」という勇気の証でもありました。彼は常に軍団の先頭に立って敵陣に突っ込み、自ら槍を振るって戦いました。そのため、彼の体は無数の傷跡で覆われていました。かすり傷一つ負わなかった本多忠勝とは対照的に、傷の数だけ勲章を持つ、まさに「肉を切らせて骨を断つ」を地で行く男、それが直政です。部下に対しても非常に厳しく、少しの失敗も許さずに手討ちにすることもあったため、「人斬り兵部」と恐れられていましたが、それも最強の軍団を作るための彼なりの厳しさだったのかもしれません。
関ヶ原での代償
島津への追撃
天下分け目の関ヶ原の戦いでも、彼は先駆け(一番槍)として活躍しました。戦いの終盤、敵中突破を図って敗走する島津義弘の軍を執拗に猛追し、島津豊久を討ち取る大金星を挙げます。しかしその際、敵兵の放った銃弾が直政の腕(または足)を貫き、重傷を負ってしまいます。この傷がもとで敗血症などを併発し、戦後わずか2年でこの世を去りました。享年42歳。その命がけの働きによって、外様でありながら譜代筆頭として井伊家は彦根藩35万石という破格の待遇を得ることになったのです。
まとめ
美貌と勇猛さを兼ね備えた「赤鬼」。その鮮烈な生き様は、現代でも彦根市のマスコットキャラクター(ひこにゃんの兜のモデルは直政の赤備え)などを通して愛され続けています。平和な時代には生きられなかった、生粋の戦国武将と言えるでしょう。