戦国時代最強の武将は誰か?その問いに必ず名が挙がる男がいます。徳川四天王の一人、本多忠勝(ほんだただかつ)、通称・平八郎。彼は徳川家康の主要な合戦のほぼ全てに参戦し、姉川、長篠、さらには関ヶ原に至るまで、常に最前線で槍を振るいました。驚くべきは、生涯57回もの激戦をくぐり抜けながら、かすり傷一つ負わなかった(生涯無傷)という伝説です。「家康に過ぎたるもの(家康にはもったいないほど素晴らしい部下)」と武田信玄などの敵方からも称賛された、この規格外の英雄の強さの秘密に迫ります。
蜻蛉切と鹿角の兜
触れるだけで斬れる槍
忠勝の愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」は、天下三名槍の一つに数えられます。その名の由来は、穂先に止まったトンボが、あまりの切れ味に真っ二つに切れてしまったからだと言われています。長さ6メートル(通常の槍の1.5倍以上)もあったというこの剛刀を軽々と振り回し、戦場を無双しました。
また、彼のトレードマークである「鹿角脇立兜(しかづのわきだてかぶと)」は、漆黒の甲冑に巨大な鹿の角をあしらった威圧感抜群のデザインで、敵兵は遠くからその影を見ただけで逃げ出したといいます。その姿はまさに戦国最強の武神そのものでした。
最後の傷
小刀での怪我
戦場では決して傷つかなかった彼ですが、晩年、隠居してから小刀で持ち物に名前を彫っている時に、手元を狂わせて指を少し切ってしまいました。その時、彼は「わしの命運もここまでか」と嘆き、その数日後に亡くなったと伝えられています。戦場の死神からも見放されるほどの強さを誇った男が、平穏の中で老いを感じて死んでいく。武人としての儚さを感じるエピソードです。
まとめ
織田信長からは「花実兼備の勇士(外見も実力も素晴らしい)」、豊臣秀吉からは「東国一の勇士」と、天下人たちに愛され恐れられた本多忠勝。彼の武勇は、徳川260年の平和の礎石として、輝き続けています。彼こそが、真の「無傷」の英雄なのです。