「敵陣を突破して撤退する」。言葉にするのは簡単ですが、それを関ヶ原という日本最大の戦場で、徳川家康の本陣をかすめる形で行った狂気の沙汰。「島津の退き口」として知られるこの伝説的撤退戦を指揮した「鬼島津」こと島津義弘の、苛烈かつ人情味あふれる生涯に迫ります。
戦国最強の「鬼」
鬼島津の武勇
九州統一戦や朝鮮出兵において、彼の軍は圧倒的な強さを見せつけました。明・朝鮮軍からは「鬼石曼子(グイシーマンズ=鬼島津)」と恐れられました。しかし、普段の彼は部下を大切にし、囲炉裏で一緒に食事をするような気さくな性格だったと言われています。
島津の退き口
捨てがまり
関ヶ原で西軍が敗走する中、彼は前代未聞の「敵中突破」を選択します。追撃してくる徳川軍に対し、少数の決死隊が足止めをして時間を稼ぐ「捨てがまり」という壮絶な戦法を用い、多くの犠牲を出しながらも薩摩への帰還を果たしました。この狂気と忠義は、徳川家康をも震え上がらせました。
猫好き大名
時計代わりの猫
朝鮮出兵の際、彼は7匹の猫を連れて行きました。猫の瞳孔の開き具合で時刻を知るためでしたが、戦場でも猫を可愛がっていたというエピソードは、猛将の意外な癒やしポイントです。帰国した2匹の猫は、後に「猫神様」として祀られました。
現代作品での義弘
ドリフターズ
異世界に召喚された「漂流者」として登場。「首置いてけ!」と叫びながら敵を粉砕する姿は、まさに妖怪首おいてけ。しかし、その根底には武士としての誇りと、戦いへの純粋な喜びがあります。
島津義弘は、「鬼島津」の異名で恐れられた猛将です。関ヶ原の戦いにおける「島津の退き口」は、敵中突破という決死の撤退戦であり、戦国史に残る壮絶なエピソードとして語り継がれています。朝鮮出兵でもその武勇は敵国にまで轟きました。
(関連キーワード:戦国時代、島津豊久)
まとめ
戦場では鬼、平時は仏。島津義弘の生き様は、薩摩隼人の理想像として、今も鹿児島の地で語り継がれています。