激しい嵐の海を鎮める唯一の方法。それは、愛する人の身代わりになることでした。古代日本の英雄ヤマトタケル(日本武尊)の冒険には数々の女性が登場しますが、その中で最も献身的で、最も悲しい運命を辿った正妻が、**弟橘媛(オトタチバナヒメ)**です。彼女の物語は、日本神話の中でも屈指の「自己犠牲」と「愛」の物語として、千年以上経った今も人々の涙を誘います。単なる悲劇のヒロインではない、彼女の芯の強さと決断について見ていきましょう。
走水の海への入水
荒ぶる海神の怒り
ヤマトタケルが東国征伐のため、相模(神奈川県)から上総(千葉県)へ海を渡ろうとした時のことです。走水(はしりみず)の海で、海神の怒りによって猛烈な暴風雨が起こり、船は為す術もなく沈没寸前になりました。タケルもこれまでかと覚悟を決めたその時です。
辞世の句と決意
「これは海神の御心です。私が貴方様の代わりに海に入り、神の怒りを鎮めましょう」。オトタチバナヒメはそう告げると、畳を波の上に敷き、「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも(かつて燃え盛る火の中で、私の身を案じてくださったあなたよ)」という辞世の句を詠み、荒れ狂う波間に身を投げました。すると不思議なことに嵐はピタリと止み、一行は無事に海を渡ることができたのです。
吾妻(あずま)の由来
亡き妻を想う嘆き
その後、東国を平定して帰路についたヤマトタケルは、足柄峠から海を見下ろし、「吾妻はや(ああ、我が妻よ)」と三度叫んで嘆いたといいます。これが関東地方を「東(あずま)」と呼ぶ由来となりました。彼女の勇気ある行動は、今も横須賀市の走水神社で語り継がれ、航海安全や女性の守護神、また「愛の神」として信仰されています。
まとめ
愛する人の使命を守るため、迷わず自らの命を捧げた弟橘媛。その深い愛情は、今も東京湾の波音と共に、そして「吾妻」という地名と共に、日本人の心に、そしてこの国の歴史の中に響き続けています。