西部劇のヒーローとして世界的に知られる伝説の保安官、ワイアット・アープ。アリゾナ州トゥームストーンの街で繰り広げられた「OK牧場の決闘」を主導し、無法者集団「カウボーイズ」と血で血を洗う抗争を繰り広げました。彼の生涯は、正義の保安官としての顔と、復讐に燃える冷酷な処刑人としての顔、その両面を持っています。
OK牧場の決闘
30秒間の伝説
1881年10月26日、ワイアット、ヴァージル、モーガンのアープ三兄弟と、親友のドク・ホリデイは、対立していたクラントン一家との決着をつけるべく対峙しました。至近距離で約30発の銃弾が飛び交ったこの決闘は、わずか30秒で終わりました。敵の3人が死亡した一方、ワイアットだけはコートに弾痕を残すのみで、奇跡的に無傷でした。この銃撃戦は、西部開拓史における最も有名なエピソードとなりました。
復讐の旅(ヴェンデッタ・ライド)
決闘の後、報復により兄ヴァージルは重傷を負い、弟モーガンはビリヤード中に背後から撃たれて殺害されました。法の限界を悟ったワイアットは、保安官バッジを捨て、連邦保安官補としての権限を拡大解釈し、弟を殺した犯人たちを次々と見つけ出しては私刑に処していきました(ヴェンデッタ・ライド)。これは正義の執行だったのか、それとも法を逸脱した狂気の復讐だったのか。その評価は今も分かれていますが、彼が「家族のために修羅になった」ことだけは確かです。
伝説の形成と晩年
ハリウッドへの関与
晩年、彼はロサンゼルスに移住し、草創期のハリウッド映画産業に関わりました。彼自身の口から語られる西部時代の冒険譚は、脚本家や監督たちを魅了し、後の西部劇映画の原型となりました。特に若き日のジョン・ウェインとも交流があったと言われ、彼の演技スタイルやガン捌きに大きな影響を与えました。80歳で畳の上で大往生した彼は、暴力的な西部を生きて生き抜いた数少ない「勝ち組」のガンマンでした。
まとめ
ワイアット・アープは、清廉潔白な聖人ではありませんでした。しかし、法と暴力が混在する西部開拓時代を生き抜き、80歳で畳の上で死んだ数少ない「勝ち組」のガンマンとして、その名は不滅です。