「私を殺せる者がいるか!」そう叫んだ直後、味方に斬り殺された男。魏延は間違いなく蜀漢後期における最強の将軍でしたが、その性格と運命が彼を英雄としての死から遠ざけました。裏切り者か、それとも不当に貶められた忠臣か。
劉備に愛された男
漢中太守への抜擢
諸葛亮は当初から魏延の「反骨の相(裏切りの相)」を警戒していましたが、主君の劉備は彼を高く評価していました。要衝・漢中の守備を任された際、魏延は「曹操が天下の兵を挙げて攻めてきても食い止めます」と豪語し、実際にその言葉通り鉄壁の守りを見せました。
幻の長安奇襲策
子午谷の計
北伐において、魏延は精鋭5000を率いて険しい山道(子午谷)を抜け、長安を奇襲する作戦を提案しました。しかし、慎重な諸葛亮はこの策を「危険すぎる」として却下。もしこれが採用されていれば歴史は変わっていたかもしれず、三国志ファンの間でも最大の「if」として議論されています。
孤立と破滅
諸葛亮の死後
諸葛亮の死後、魏延は撤退命令に従わず、ライバルの楊儀と対立。結果として「反乱」の汚名を着せられ、馬岱によって討たれました。彼は権力闘争には不器用すぎた純粋な武人だったのかもしれません。
【考察】正当な評価とは
演義での悪役化
『三国志演義』では徹底してトラブルメーカーとして描かれますが、正史を見れば彼が長年にわたり蜀を支えた功績は明らかです。性格に難はあれど、その武勇と忠誠心(劉備への)は本物でした。
まとめ
時代と上司に恵まれなかった悲運の猛将。その最期はあまりにあっけないものでしたが、魏延という強烈な個性は、三国志の終盤を彩る重要なスパイスとなっています。