「伏竜」と呼ばれた眠れる天才、諸葛亮孔明。劉備玄徳によって歴史の表舞台に引き出された彼は、その神算鬼謀をもって弱小勢力だった劉備軍を一大国家「蜀」へと押し上げました。羽扇を片手に戦況を操るクールな軍師のイメージが強いですが、その根底にあるのは主君への熱い忠誠心と、平和な国造りへの執念でした。三国志演義における主役の一人、孔明の智略の数々を紹介します。
三顧の礼と天下三分の計
伝説的なヘッドハンティング
晴耕雨読の生活を送っていた孔明のもとを、劉備は三度も訪ねました(三顧の礼)。その誠意に心を打たれた孔明は、彼に「天下三分の計」を披露します。これは当時最強の曹操に対抗するため、孫権と結び、荊州・益州を基盤に国を三つに分けて均衡を保つという壮大な国家戦略でした。この瞬間、歴史の歯車が大きく動き出したのです。
赤壁の戦いでの奇跡
三国志最大のクライマックス「赤壁の戦い」において、孔明の知略は冴え渡ります。呉の周瑜と協力し(て利用し)、濃霧を利用して曹操軍から10万本の矢を奪ったり(草船借箭の計)、祭壇を築いて東南の風を呼び寄せ、火計を成功させたりと、天候さえも味方につける活躍で圧倒的な曹操軍を撃退しました。(※演義による脚色が強い部分ですが、彼の神秘性を象徴するエピソードです)
忠義に生きた後半生
出師の表
劉備の死後、孔明は後継者の劉禅を支え、魏への北伐を繰り返します。出陣の際に奏上した「出師の表(すいしのひょう)」は、国を憂う至誠の情に溢れ、「これを読んで泣かない者は忠臣ではない」と言われるほどの名文として残っています。
五丈原に死す
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」。長年の激務により、孔明は五丈原の陣中で病に倒れます。しかし彼は死してなお、木像を使って敵将・司馬懿(仲達)を恐怖させ、自軍を無事に撤退させる策を残していました。享年54歳。あまりに早すぎる死でしたが、その生き様は理想の宰相として長く語り継がれています。
現代人が憧れる軍師像
転生しても天才
近年では『パリピ孔明』のように、現代日本に転生してもその知略で成功する姿が描かれるなど、彼の能力の普遍性が再確認されています。「どんな絶望的な状況も、知恵一つでひっくり返す」というカタルシスこそが、孔明が愛され続ける理由でしょう。
Fateでの憑依
FGOでは、ロード・エルメロイII世の体に憑依する形で現界。過労体質という共通点(?)を持つ二人の融合は、ファンに驚きと納得を与えました。
まとめ
諸葛亮孔明。その名は単なる「頭の良い人」を超え、「忠義」と「知恵」の代名詞として、永遠に輝き続けています。