古代ローマ史上、最高の名将の一人と讃えられるプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス。カルタゴの天才戦術家ハンニバルによってイタリア半島を蹂躙され、国家存亡の危機にあったローマを救った救国の英雄です。敵将ハンニバルから戦術を学び、それを昇華させて逆にハンニバルを打ち破った「ザマの戦い」は、戦史における最高傑作の一つとして研究され続けています。
若き天才
カンナエの生還者
名門コルネリウス一族に生まれた彼は、若くして父と共に戦場に出ました。ローマ軍が完膚なきまでに叩きのめされた「カンナエの戦い」にも参加し、辛くも生還しています。この時、多くのローマ人が絶望して逃亡を考える中、剣を抜いて「国家を見捨てる者は私が斬る」と一喝し、若者たちを鼓舞したという逸話が残っています。
ヒスパニア攻略
父と叔父がカルタゴ軍に敗れて戦死した後、わずか24歳で異例の指揮官(プロコンスル待遇)に立候補し、ヒスパニア(スペイン)戦線の司令官となりました。彼は奇襲作戦でカルタゴの拠点「新カルタゴ」を一日で陥落させるなど、神がかり的な軍才を発揮。また、捕虜とした敵部族の美しい娘を丁重に親元へ返すなど、寛容な処置で現地の心をつかみました。
ハンニバルとの決着
アフリカ遠征
イタリア半島に居座るハンニバルを直接攻撃するのではなく、その本国カルタゴを突くという大胆な戦略を立案。元老院の保守派(ファビウスら)の反対を押し切ってアフリカ遠征を敢行しました。これにより、カルタゴ本国はハンニバルを呼び戻さざるを得なくなります。
ザマの戦い
紀元前202年、ついに両雄はザマの地で対峙します。スキピオはハンニバルの得意とする象部隊への対抗策(隊列に隙間を開けて象を通過させる)を用意していました。さらに、かつてローマを苦しめたヌミディア騎兵を味方に引き入れ、ハンニバルの得意戦術であった「包囲殲滅」を、逆にハンニバルに対して実行。完勝を収め、長きにわたる戦争に終止符を打ちました。この功績により、彼は「アフリカヌス(アフリカを制した者)」の尊称を得ました。
栄光と孤独
祖国への失望
戦争の英雄として絶大な人気を誇りましたが、その突出した名声は元老院の嫉妬と警戒を招きました。晩年は政敵(大カトーら)による根拠のない汚職疑惑の追求を受け、ローマを去ることを余儀なくされました。「恩知らずな祖国よ、お前は私の骨を持つことはないだろう」という言葉を残し、失意のうちに別荘で生涯を閉じました。墓碑銘にもその言葉が刻まれたと言われています。
まとめ
敵であるハンニバルさえも敬意を表したという高潔な精神と、柔軟な知性。スキピオは、武力だけでなく人格によっても世界を動かした、真のローマ人でした。