「呉下の阿蒙」に代わって指揮を執った若き貴公子は、誰も予想しなかった大番狂わせを演じました。三国志の英雄たち、関羽と劉備に引導を渡した男、陸遜伯言。その美しい顔立ちの裏には、冷徹なまでの計算と戦略眼が隠されていました。
侮られた天才
関羽討伐
荊州を守る関羽に対し、陸遜は無名の若手を装って極めて謙虚な手紙を送り、関羽の油断を誘いました。完全に警戒を解いた関羽が前線に兵を向けた隙に、呂蒙と共に荊州を奪還。軍神・関羽を死に追いやる決定的な役割を果たしました。
夷陵の戦い
炎の連環計
復讐に燃える劉備率いる蜀の大軍が攻め込んできた際、陸遜は防戦に徹し、敵が疲弊し、陣形が伸びきるのを待ち続けました。味方からも「臆病者」と罵られながらも機を待ち、夏の乾いた風が吹いた瞬間、大規模な火計を実行。蜀軍を焼き払い、劉備の野望を完全に打ち砕きました。
将相の器
悲劇の晩年
戦場では無敵でしたが、宮廷政治の場では苦難が待ち受けていました。晩年は後継者争いに巻き込まれ、主君・孫権から疑いをかけられ、憤死したと伝えられます。国を救い続けた忠臣にしては、あまりに報われない最期でした。
【考察】周瑜の後継者
文武両道
陸遜は単なる軍人ではなく、優れた政治家でもありました。若くして重責を担い、内外の危機に対処したその手腕は、呉の初代都督・周瑜に勝るとも劣らないものでした。
まとめ
常に冷静沈着、しかし胸には熱い忠義の炎。陸遜が守り抜いた呉の平和は、彼の知恵と忍耐の結晶です。