「李廣難封(李広封ぜられ難し)」という言葉があるほど、実力がありながら報われなかった人物の代名詞。しかし、その神がかった弓の腕と、敵である匈奴からも「飛将軍」と恐れられた武名は、2000年以上経った今も色褪せることはありません。
岩をも貫く一念
虎と見間違えて
ある夜、草むらに潜む虎を見つけた李広は、渾身の力で矢を放ちました。翌朝確認してみると、それは虎ではなく虎の形をした石で、矢は見事にその石に突き刺さっていたといいます。「一念岩をも通す」の元となった有名なエピソードです(石に立つ矢)。
飛将軍の武勇
匈奴が避けて通る男
彼は行動が素早く、弓の扱いにかけては右に出る者がいませんでした。匈奴は彼を「漢の飛将軍」と呼んで恐れ、李広の守る砦には数年間寄り付こうとしなかったと伝えられます。部下に対しても情が厚く、水や食料が見つかると兵士全員に行き渡るまで自分は口にしなかったため、死を賭して彼に従う者が絶えませんでした。
悲劇の最期
迷走の末に
華々しい武功の一方で、彼は決定的な勝利や運に恵まれませんでした。最後の大遠征では、道案内が不十分で道に迷い、戦場に遅刻するという失態を犯します。屈辱的な尋問を受けることを拒んだ彼は、自ら首を刎ねてその生涯を閉じました。その死を聞いた人々は、老いも若きも涙したといいます。
【考察】個の武勇と将の器
時代遅れの英雄
李広は個人の武勇に優れていましたが、衛青や霍去病のような集団戦術・騎兵運用には適応しきれなかったのかもしれません。古き良き武人の美学が、新しい時代の波に飲み込まれていった悲哀を感じさせます。
まとめ
記録(位階)よりも記憶(名声)に残る男、李広。その不器用な生き様は、多くの判官贔屓の日本人の心にも響くものがあります。