「匈奴未だ滅びず、何ぞ家を為さん」。この名言を残し、戦場を疾風の如く駆け抜けた天才。わずか18歳で初陣を飾り、24歳でこの世を去るまでに、当時の世界最強国家・匈奴を壊滅寸前まで追い込んだ霍去病は、歴史上でも稀に見る早熟の天才指揮官です。
甥と叔父の最強タッグ
衛青の甥
霍去病は、漢の大将軍・衛青の甥にあたります。慎重で堅実な戦い方をする叔父とは対照的に、霍去病は常にリスクを恐れない大胆不敵な戦法を好みました。武帝は彼を寵愛し、孫子の兵法を教えようとしましたが、「古臭い戦術など役に立たない」と断ったという逸話さえあります。
電撃戦の創始者
補給を捨てた機動力
彼の最大の特徴は、輜重(補給部隊)を持たず、食料や武器を現地調達しながら高速で移動する戦術でした。これにより敵の想定を遥かに上回る速度で移動し、匈奴の本拠地を急襲。当時の常識を覆す戦果を挙げました。現代でいう「電撃戦」を2000年前に実践していたのです。
酒泉の伝説
兵士との絆
皇帝から貴重な酒を賜った際、彼は「自分だけ飲むわけにはいかない」と、その酒を泉に注ぎ込み、兵士たちと共にその水を飲んだという伝説があります。これが「酒泉」という地名の由来となりました(諸説あり)。
【考察】早すぎた死
流星の如く
24歳での病死は、漢帝国にとって痛恨の極みでした。もし彼が生きていれば、その後の歴史や対匈奴戦略は大きく変わっていたでしょう。完成された才気と、未完の将来。その儚さが彼の英雄性を高めています。
まとめ
誰も追いつけない速度で時代を駆け抜けた霍去病。その名は、いまも祁連山の風と共に語り継がれています。