「識の高杉、才の久坂」。吉田松陰が最も愛した弟子の一人であり、幕末の京都を震撼させた尊王攘夷のインフルエンサー。25歳という若さで散った久坂玄瑞の生涯は、まさに閃光のようであった。
松陰の意志を継ぐ者
暴走する純粋さ
師・松陰が処刑された後、久坂は「草莽(そうもう)崛起」を掲げ、過激な攘夷活動に身を投じた。 英国公使館焼き打ちなど、その行動は常に急進的であり、慎重論を唱える高杉晋作とは対照的に、若者たちの情熱に火をつけ続けた。
禁門の変
御所に散る
1864年、長州藩の復権を求めて兵を率い、京都御所へ進軍(蛤御門の変)。 会津・薩摩軍との激戦の末に敗れ、鷹司邸にて自刃した。享年25。 彼の死は長州藩を一度は絶望の淵に追いやったが、その純粋な志は後の維新回天の原動力となった。
まとめ
久坂玄瑞は、誰よりも深く国を憂い、その身を松明として時代を照らそうとした、幕末一の情熱家である。