「おもしろき こともなき世を おもしろく」。この辞世の句のように、退屈な封建社会をぶち壊し、幕末を疾風怒濤の如く駆け抜けた革命児。それが長州藩の**高杉晋作(たかすぎしんさく)**です。吉田松陰が「陽(動)の高杉、陰(静)の久坂」と評した天才の一人であり、身分を問わない最強の軍隊「奇兵隊」を創設し、圧倒的不利な状況から幕府軍を撃退した軍略家の、短くも熱い生涯を紹介します。
上海体験と奇兵隊の創設
武士じゃなくても戦える
若き日に上海へ渡った高杉は、欧米列強に支配される中国の実情を見て衝撃を受け、「日本もこうなる」と危惧しました。帰国後、彼は「もはや武士だけでは国を守れない」と考え、身分を問わず志願者を集めた「奇兵隊」を結成しました。
農民や町人でも、志があれば兵士になれる。この画期的な部隊は、西洋式の軍事訓練と最新兵器を取り入れ、プロの武士集団である幕府軍を圧倒する強さを発揮しました。これは後の国民皆兵(徴兵制)の先駆けとも言えるシステムでした。
功山寺挙兵と最期
たった80人からのクーデター
藩の上層部が幕府への恭順(降伏)を決めた時、高杉は「これより長州男児の肝っ玉をお目に掛ける」と言い放ち、わずか80人程度の手勢で功山寺にて挙兵しました。無謀とも思われたこの賭けに勝利し、彼は長州藩の実権を掌握。藩論を再び「倒幕」へと統一させ、歴史の流れを決定づけました。
その後、第二次長州征伐でも幕府軍を撃破しましたが、彼はその勝利を見届けるかのように、27歳の若さで結核により病没しました。死の床で「おもしろき…」と詠んだ彼に、看病していた野村望東尼が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけると、「面白いのう」と笑って逝ったといいます。
まとめ
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。高杉晋作の生き様は、閉塞感のある時代に風穴を開けることの痛快さと、命を燃やすことの美しさを、今も私たちに教えてくれます。