「尽忠報国(忠義を尽くして国に報いる)」の刺青を背中に刻み、滅亡の危機にあった南宋を救うために戦った救国の英雄・岳飛。彼が率いる「岳家軍」は規律正しく最強を誇り、宿敵である金(女真族)の軍隊をして「山を動かすは易し、岳家軍を動かすは難し」と嘆かせました。関羽と並んで軍神(関帝・岳王)として祀られる、中国人の精神的支柱です。
凍え死ぬとも民家を犯さず
岳家軍の規律
当時の軍隊は略奪を行うのが常でしたが、岳飛の軍は「凍死しても民家を壊して薪にせず、餓死しても民から略奪しない」という厳格な規律を守りました。そのため民衆からの支持は絶大で、行く先々で歓迎されました。また、彼自身も清廉潔白で、恩賞はすべて部下に分け与えたといいます。
朱仙鎮の戦い
北伐を敢行した岳飛は、朱仙鎮の戦いで金軍の主力(重装騎兵「鉄浮図」)を歩兵の長刀で打ち破るという大勝利を収めました。かつて奪われた首都・開封の奪還まであと一歩というところまで迫りました。
十二枚の金牌
奸臣・秦檜
しかし、和平派の宰相・秦檜(しんかい)は、戦争の継続が自分の権力基盤を脅かすことを恐れ、皇帝に讒言しました。岳飛の元には撤退を命じる「十二枚の金牌(皇帝からの急使)」が次々と届きました。「十年お功、一日にして廃す」。岳飛は血の涙を流して撤退を決断しました。
莫須有(須らく有るべし)
帰国後、岳飛は謀反の罪で投獄されました。取り調べを担当した高官が秦檜に「証拠はあるのか」と問うと、秦檜は「莫須有(あったかもしれない=あるに違いない)」と答えました。この理不尽な理由で岳飛は処刑されました。39歳でした。後世、岳飛の墓の前には、秦檜夫婦が跪いて謝罪する鉄像が作られ、人々に唾を吐きかけられる対象となりました。
まとめ
比類なき武功と高潔な人格を持ちながら、卑劣な陰謀に倒れた岳飛。その悲劇性は、彼を単なる将軍から、中華民族の魂を守る永遠の守護神へと昇華させました。