「混沌」という言葉の語源となったこの怪物は、文字通り形をなさぬ、理解不能な存在として古代中国で語られました。目も鼻も口もない、ただの「肉の塊」でありながら、それは世界が秩序(コスモス)を持つ以前の、無限の可能性と恐怖が渦巻く原初のカオスを体現しているのです。
のっぺらぼうの帝王
奇妙な姿
中国最古の地理書『山海経』によると、混沌は巨大な黄色い袋のような体をしています。その色は火のように赤く、6本の足と4枚の翼を持っていますが、顔には目も鼻も口も耳も、一切の感覚器官がありません。彼には知性がなさそうに見えますが、実際には歌舞を楽しみ、独自の法則で生きています。
善悪の逆転
四凶の一つとしての混沌は、極めて厄介な性質を持っています。彼は徳の高い立派な人間に会うと、その善性を憎んで食い殺そうと暴れます。逆に、極悪非道な人間に会うと、親しみを感じて素直に従います。これは、彼が「秩序(善)」を拒絶し、「無秩序(悪)」を好む存在だからです。
南海と北海の王の物語
親切が仇に
『荘子』に記された寓話は有名です。中央の帝であった混沌は、南海の王(儵・シュク)と北海の王(忽・コツ)の訪問を歓待しました。二人の王は、「人間には目や耳、口など7つの穴があるが、混沌にはない。お礼に穴を開けてあげよう」と提案します。混沌がそれを受け入れると、彼らは毎日一つずつ、鑿(のみ)で混沌の顔に穴を開けていきました。
秩序による死
そして7日目、7つの穴(目、耳、鼻、口)が全て完成した瞬間、混沌は死んでしまいました。この物語は、自然のままの完全な状態(カオス)に、人為的な分別や秩序(コスモス)を無理に持ち込むと、その本質的な生命力が失われてしまうという哲学的な真理を示唆しています。
まとめ
混沌は、得体の知れない怪物であると同時に、私たちの宇宙が生まれる前の「可能性の塊」であり、人間が失ってしまった「原始の完全性」の象徴でもあるのです。