骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)は、鎌倉時代の短刀作りの名手・粟田口吉光(通称:藤四郎)の手による、国宝の脇差です。 元々は薙刀(なぎなた)でしたが、後に磨り上げられて脇差になりました。「斬る真似をしただけで骨が砕ける」と恐れられたことが名前の由来です。
天下人の宝刀
錚々たる持ち主たち
この刀の主のリストは、まさに日本史のオールスターです。足利尊氏から足利将軍家に伝わり、松永久秀、大友宗麟を経て豊臣秀吉へ。秀吉はこの刀を非常に気に入り、大阪城の宝として大切にしました。その後、徳川家康の手に渡り、徳川将軍家の重宝となりました。
薙刀から脇差へ
作られた当初は長い柄のついた薙刀でしたが、時代の流行や使い勝手に合わせて短く切り詰められ(磨り上げ)、今の脇差の姿になりました。刀身に彫られた倶利伽羅龍の彫刻は、元の薙刀時代の面影を今に伝えています。
失われた記憶
明暦の大火での悲劇
1657年の明暦の大火(振袖火事)で、江戸城にあった骨喰藤四郎は焼けてしまいました。その後、修復されて今の形になりましたが、この火災によってかつての刃文は失われてしまいました。
刀剣乱舞での設定
ゲーム『刀剣乱舞』では、この火災のエピソードから「記憶喪失」の少年として描かれています。過去の主たちの記憶がなく、どこか影のあるミステリアスな雰囲気を持つ彼は、兄弟刀である「鯰尾藤四郎(同じく焼けた過去を持つ)」と共に、過去よりも未来を見ようとする姿が描かれます。
兄弟刀との絆
藤四郎兄弟
粟田口吉光の作刀は「藤四郎」と呼ばれ、多数の短刀が現存しています。骨喰はその中でも数少ない「脇差(元薙刀)」サイズであり、短刀ばかりの藤四郎兄弟の中ではお兄さん的な立ち位置になることが多いです。
【考察】なぜ「骨喰」なのか
痛覚の遅れ
「斬られたことに気づかず、後から骨が砕ける音がした」というような表現は、極限の切れ味を表現する際の常套句です。骨喰藤四郎は、単に鋭いだけでなく、底知れぬ凄みを持った妖刀としての性質も帯びていたのでしょう。
まとめ
骨喰藤四郎は、姿を変え、炎に焼かれ、記憶を失いながらも、国宝として今に残る奇跡の刀です。その静かな輝きは、激動の歴史を語り継いでいます。