豊臣秀吉に「表裏比興の者(食わせ者)」と評され、徳川家康に二度の敗北を味わわせた稀代の戦術家、真田昌幸。小大名ながら、その知恵で乱世を生き抜きました。
上田合戦
神算鬼謀の防衛戦
第一次・第二次上田合戦において、数倍の兵力を持つ徳川の大軍を、城下町の地形や奇襲を巧みに利用して翻弄し、撃退しました。これは徳川軍事史における最大の汚点とされています。
九度山での最期
紀州への配流
関ヶ原の戦いで西軍についたため、高野山(九度山)へ追放されました。再起を期して兵法を練り続けましたが、大坂の陣を前に病没。その知略は息子の幸村(信繁)に受け継がれました。
まとめ
真田昌幸は、武力ではなく知力で大国に対抗できることを証明した、戦国時代最高のトリックスターです。