徳川家康がまだ弱小大名だった頃から支え続けた最古参の家臣、それが酒井忠次です。彼は家康にとって頼れる兄貴分であり、戦場では最強の指揮官、宴会ではひょうきんな踊り子という、マルチな才能を持ったリーダーでした。
海老すくいとリーダーシップ
ムードメーカー
彼は宴会の席で「海老すくい」というコミカルな踊りを披露し、家臣たちを笑わせて結束を固めたと言われています。気難しい三河武士たちをまとめ上げるには、このような人間的魅力が必要不可欠でした。
武功の数々
酒井の太鼓
三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗し、城に逃げ帰った際、彼は城門を開け放ち、自ら櫓の上で太鼓を打ち鳴らしました。このあまりに堂々とした態度を見て、武田軍は「伏兵がいるのでは?」と警戒して撤退したという伝説があります(諸説あり)。
長篠の戦い
織田・徳川連合軍が武田勝頼を破った長篠の戦いでは、別働隊を率いて敵の背後(鳶ヶ巣山)を奇襲し、武田軍を崩壊させるきっかけを作りました。信長もこのファインプレーを絶賛しました。
信康切腹事件
生涯の悔い
信長から家康の長男・信康に謀反の疑いがかけられた際、弁明に行った忠次が十分に庇いきれず、結果として信康が切腹することになった事件。これは彼のキャリアにおける最大の汚点となり、晩年、家康から「お前でも我が子は可愛いか」と皮肉を言われる原因となりました。
酒井忠次は、徳川四天王の筆頭として家康を支えた重臣です。三方ヶ原の戦いでの敗走の際、太鼓を打ち鳴らして味方を鼓舞した「酒井の太鼓」の逸話は有名です。また、独特の踊りである海老すくいを得意とし、陣中の空気を和ませるムードメーカーとしての一面も持っていました。
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まとめ
徳川の平和の礎を築いた酒井忠次。その背中は、組織のナンバー2としての誇りと苦悩を物語っています。