現代において「暗殺者(Assassin)」の語源となった、イスラム教シーア派の一派・ニザール派の指導者ハサン・サッバーフ。彼はペルシアの山岳地帯にある険しい岩山の上に、難攻不落の「アラムート城砦(鷲の巣)」を築き、そこから強大なセルジューク朝に対抗しました。彼が組織した精鋭たちは、要人の暗殺という恐怖によって敵を支配し、歴史の影で暗躍しました。「山の老人(シャイフ・アル・ジャバル)」として恐れられた彼の伝説は、マルコ・ポーロなどを通じてヨーロッパにも伝わり、現代のフィクションにも多大な影響を与えています。
地上の楽園とハシシの伝説
洗脳による暗殺者育成
ハサン・サッバーフに関する最も有名な伝説は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に記されています。彼によると、山の老人は若者たちに「ハシシ(大麻)」を与えて昏睡させ、目が覚めると美女や美酒、美味しい果物が溢れる美しい庭園へ連れて行きました。若者たちはそこを天国(楽園)だと信じ込みました。
再び眠らされて元の場所に戻された若者に対し、老人はこう説きます。「私の命令に従って死ねば、お前たちは永遠にあの楽園に行ける」。この言葉を信じ込んだ若者たちは、死を恐れない狂信的な暗殺者(フィダーイー)となり、笑顔で断崖絶壁から飛び降りたり、どんな危険な任務も遂行したと言われています。これが「アサシン(ハシシーン=大麻を使う者)」という言葉の由来とされましたが、現代の研究では、この話は敵対するスンニ派や十字軍によるプロパガンダ(誇張された悪評)である可能性が高いとされています。
真実の姿:知性ある神学者
少数派の生存戦略
実際のハサンは、薬物で若者を操るような怪しい魔術師ではなく、非常に厳格な禁欲主義者であり、高い知性とカリスマ性を持った優れた神学者・政治家でした。
当時のニザール派は、強大なセルジューク朝の軍事力に圧倒されており、正面からの戦争では勝ち目がありませんでした。そこでハサンが選んだのが、敵の指導者層のみをピンポイントで排除する「暗殺」という非対称戦術でした。これは決して無差別テロではなく、組織を存続させるための冷徹かつ合理的な戦略でした。
彼は自ら定めた厳しい戒律を守り、それを破った者は、たとえ実の息子であっても処刑したと言われています。この極限の規律と公平さが、教団の結束を鉄のように固くし、アラムート城砦を170年近くも陥落させない一大勢力へと押し上げたのです。
現代への影響と伝承
ポップカルチャーでの再解釈
ハサン・サッバーフの伝説は、現代のエンターテインメント作品において頻繁に取り上げられています。特に日本のゲームやアニメ(『Fate/Grand Order』など)では、史実や伝承の特徴を色濃く反映しつつも、大胆な独自の解釈を加えたキャラクターとして描かれることが多く、若い世代にその名を知らしめるきっかけとなっています。史実の重みとファンタジーの想像力が融合することで、新たな魅力が生まれているのです。
阿頼耶識(アラヤシキ)としての側面
伝説の英雄たちは、人々の集合的無意識(阿頼耶識)に刻まれた「元型(アーキタイプ)」としての側面を持ちます。ハサン・サッバーフが象徴する英雄 / 暗殺者としての性質は、時代を超えて人々が求める理想や、あるいは恐れを具現化したものと言えるでしょう。物語の中で彼らが語り継がれる限り、その魂は不滅であり、私たちの心の中で生き続けていくのです。
歴史と伝説の狭間で
私たちが知るハサン・サッバーフの姿は、同時代の一次資料に残された実像とは異なる場合があります。長い年月の中で、口承文学や後世の詩人・作家たちの創作によって脚色され、時には超自然的な能力さえ付与されてきました。しかし、そうした「虚構」が混じり合うことこそが、英雄を単なる歴史上の人物から「伝説」へと昇華させている所以であり、歴史の教科書だけでは語り尽くせない魅力の源泉なのです。
まとめ
時代を超えて愛されるハサン・サッバーフ。その伝説は、現代のファンタジー作品などにも形を変えて受け継がれています。