「修羅場(しゅらば)」という言葉の語源となった、戦いの神。それが阿修羅(あしゅら)です。
しかし、日本で最も有名な奈良・興福寺の阿修羅像は、戦いの神とは思えないほど華奢で、憂いを帯びた少年の顔をしています。ただ暴れるだけの怪物ではない、阿修羅の繊細な心の内を紐解きます。
なぜ戦い続けたのか?
正義の暴走
元々、阿修羅は正義感の強い神でした。しかし、愛娘を帝釈天に奪われた(あるいは凌辱さらたと思い込んだ)ことから激怒し、天界に対して戦争を仕掛けました。「正義のためなら何をしても良い」という怒りに飲まれ、許す心を失ってしまったのです。
仏門への帰依
帝釈天との果てしない戦争の末、お釈迦様の説法に出会い、「正義におぼれることもまた煩悩である」と気づきました。そして改心し、仏教を守る8つのボディーガード「八部衆」の一員となりました。
三つの顔の意味
成長の物語
興福寺の像をよく見ると、三つの顔はそれぞれ違った表情をしています。
- 右の顔: 唇を噛み締め、怒りや悔しさを抑えている(過去の自分)
- 左の顔: 唇を少し突き出し、まだ納得していないような幼さがある(迷い)
- 正面の顔: 眉をひそめつつも、静かに何かを見据える(懺悔と目覚め)
この三面は、怒れる鬼神が仏の心に目覚めていくプロセスの瞬間を切り取ったものだと言われています。
まとめ
正義を振りかざして誰も彼も傷つけてしまう。そんな「心の修羅」は私たちの中にもいます。阿修羅像の切ない表情は、そんな自分自身の写し鏡なのかもしれません。